平成20年月報
平成20年1月(2月2日記)
1月の受診の方は約700名でした。年末に受診された方に長期投薬した影響とおもいます。新たな年を迎え、これからも名利を求めず、誠意を尽くすことを誓います。
○H病院で15年間同僚であったOK先生が54歳の若さで亡くなりました。哀悼の念にたえません。やはり15年間共に勤めたM前院長も先に亡くなってます。M先生、OK先生とはH病院在職中、3人で話し合って病院の方針を内定したり、碁や会食する機会がよくありました。生前は共に忙しくしていた二人ですので向こうの世界でゆっくり碁でも囲んでいることでしょう。
平成20年2月(3月9日記)
2月の受診の方は約750名でした。医師不足は心療内科でもいよいよ深刻になっているようで、2月は複数の関係機関から続けて休診日の水曜に出勤してほしいと要望がありました。現在はH病院に非常勤で勤務しているので無理です。近隣の精神科からも“小児精神科は予約が3ヶ月先です”とか、薬物依存症の外来は廃止になりなした”などの通知が相次ぎました。私が医学生の時代には“医師過剰時代”が来る”と言われていました。どこに医師は消えてしまったのでしょうか?
平成20年3月(4月7日記)
3月の受診の方は約740名でした。心療内科の需要の多さに驚いています。人生の生き方について問われました。今の日本は基本的に無宗教ですので、我々は一部、僧侶や牧師に当たる役割まで行っているのではないかと考えてしました。
平成20年4月(5月7日記)
4月の受診の方は約750名でした。 今月は後期高齢者医療制度や通院精神療法の時間制に苦労しました。“改革”とは言いながら制度を複雑にして労力と経費を増やしているとしか思えません。本来の改革は制度を簡単にして労力と経費を節約することだと思います。その節約分を患者さんのサービスに向けるべきです。この国は本当にどうなるのでしょうか?
平成20年5月(6月8日記)
5月の受診の方は約760名でした。 最近、公務員の方の受診が目立ちます。政策の混乱や人員削減に翻弄され、みなさん疲れきった様子でした。最近の政治が人を大切にしていないことを痛切に感じます。
平成20年6月(7月7日記)
6月の受診の方は約760名でした。5月とほぼ同じですが、だいたいの睡眠剤が28日まで処方できるようになったため、時間に余裕ができまるようになりました。
平成20年7月(8月7日記)
7月の受診の方は約770名でした。心療内科の需要がこんなに多いのはこの国が病んでいることを証明しています。8月1日で開業4年になりました。皆様のおかげで大過のないことを感謝します。
平成20年8月(9月7日記)
8月の受診の方は約730名でした。夏季休診の影響と思います。最近は書類の多さと手続きの複雑さに辟易します。書類を書く時間を診察や地域の活動に振り替えられればどんなに良いかと思います。
平成20年9月(10月7日記)
9月の受診は約770名でした。受診の多い日と少ない日の差が大きく、更には午前と午後で全く 違うことがあります。なんらかの対策が必要ですが、心療内科の特性上、状態の急変される方もあり、予約制は取りたくありません。
平成20年10月(11月7日記)
10月の受診は約790名でした。医療崩壊の音が心療内科でも聞こえます。当院に受診する前に数ヶ所のクリニックや病院に問い合わせて受診できなかった方が何人かいらっしゃいました。一方、神経科の病院は空床が目立つようで複数の病院から入院患者さんの依頼がありました。バランスがおかしくなっているようです。
平成20年11月(12月7日記)
11月の受診は約780名でした。 医師不足ですが、私の周りの開業医をみても診療科によって事情が違うようです。内科や眼科は過剰気味、反対に産婦人科は廃業が目立ち、新規の開業はほとんど聞きません。小児科や耳鼻科、皮膚科は患者さんの数が多すぎる所が多いようです。やはり医療訴訟の確率の高い科ほど医師数が少ないと考えます。心療内科は“ほどほど”ですが、それでも供給が需要に追いついていないと思います。将来に神経科病院が崩壊し始めると、事態はかわりますが・・
平成20年12月(1月6日記)
12月の受診は約800名でした。年末年始のため、お薬を取りに来られた方が多かったようです。当院のある、JR津久野駅前の公団住宅跡地に市立堺病院と三次救命救急センターが5年後に建設されると聞きました。政令指定都市で救命救急センターや救急指令部のないのは堺市のみで、建設がいそがれていると言います。5年後には津久野地域は一種の医療センターに変貌している可能性があります。