令和2年月報
令和2年1月(2月3日記)
1月の受診の方は約1,080名でした。新型コロナ肺炎がパンデミックになりました。わずか 2ヶ月前に発生したにもかかわらず、感染者は1万人を超えています。熱帯の国でも流行しているので、気温が高くなり
湿度が上がっても流行は止められないと思われます。ペストや天然痘のように致死率は高くなさそうなのが幸いです(約3%)。我が国もオリンピック開催に配慮したのか
防疫体制が甘すぎます。しばらくすると、コンサートやスポーツの試合などの集会を控えたり、旅行や不要不急の外出をしないようにする事態になると思います。今後は人々の間違ったデマや過剰な不安(特にSNS上)にも対応が必要です。欧州ではペストの流行がユダヤ人の陰謀とされ、多くのユダヤ人が迫害された歴史があります。エドモン・ダンテスの最後の言葉が切実です。「待て、そして希望を持て」
○日本精神神経学会の認知症診療医(新設)になりました。
令和2年2月(3月3日記)
2月の受診の方は約1,100名でした。後半はコロナ肺炎のため、不安を訴える方がありました。コロナ肺炎は感染力が強さが驚異的です。将来的には インフルエンザ、ノロ、ロタなどのように季節性の普通の病気“Common disease”なり、定着して毎年流行することになるのではないでしょうか。しかし、現在はウイルスに対する治療法や公衆衛生的知識(重症化率や出勤禁止期間等々)が確立されておらず、重症化するがどうかは個々の“体力”頼みです。その不安が世の中にあふれています。現在の日本の対策は甘いと思います。
今回の流行では 経済面でも外国に頼ることが いかに危険なことか はからずも判明しました。やはり最低限の物資(食糧も)は国内で確保出来るようにすべきです。多少は高価でも国産品を使う国民の意識が必要と思います。商業もインバウンド需要はオマケと位置づけ、日本居住の客を本業とすべきでした。今までが異常でありました。
令和2年3月(4月3日記)
3月の受診の方は約1,080名でした。長期投薬希望の方が多くなりました。 高齢者の受診も減りました。物忘れや不眠 程度の症状では無理をして外出して受診しないということでしょう。今回のウィルス感染症は基本的に身体疾患ですが、二次的に人間性を破壊しているように思います。職場への出勤が制限され、人と人との間には一定の物理的距離が要求され、会話さえも注意が必要となっています。一堂に会することができないため、大はオリンピックから、小は歓送迎会や懇親会まで
会合と名のつくものはすべて中止となり、さらには 友人や親戚との会食まではばかられる事態となっています。人々は外出がなくなり、同じ所で少人数の人達としかコンタクトできない生活を強要されています。
多くの人々はこの状況に強烈な孤独感と閉塞感を感じるはずです。これに失業、収入減などの問題も加わり、“うつ”が多発するはずです。ウィルス直接の健康被害より
“コロナうつ病”の方が社会経済的に重要な問題になるかもしれません。コロナは危険な「人間関係 阻害ウイルス」です。
令和2年4月(5月3日記)
4月の受診の方も約1,080名でした。クリニックなどからはなるべく早く立ち去りたい様子の方が増えました。先日、未曾有の緊急事態宣言下、近くのショッピングモールに寄り
様子を見てきました。当然 人はほとんどおらず、デパートが閉まり、店舗はシャッター街になっていました。施設の外周は ほこりや雑草も目立っており、カラスの鳴き声が響いていました。廃墟になったわけではありませんが、「国破れて山河あり、城春にして草木青みたり」の語句がしきりと頭に浮かびました。感染の拡大防止には仕方がないのでしょうが、肌感覚として「何かとんでもないことがが起こっている」と恐怖しました。やはり
この現象は単なるウィルスの蔓延だけではなく、心理的、社会的にも異次元のインパクトを持ち、これまで 永々と人類が築いてきた文化を一変させそうです。少なくとも
治療法が出来るまでは(最長2,3年?)多人数の会合や集会(プロスポーツ、大規模コンサートや学会など)は無観客ないしWeb開催となり、飲食店、店舗、映画館などは人数制限などされると予想します。その後、ウィルスが克服されても
人々の生活様式や価値観までもかえている可能性があると思います。
令和2年5月(6月3日記)
5月の受診の方は約1,050名でした。“不急”の方は受診されず、下旬にはコロナ関連で来られる方も目立ちました。日本で緊急事態宣言が解除されました。これは生活や経済面を考えればやむを得ない所があると思います。コロナ絶滅を目指して対策を徹底すれば、老子の理想とする“小国寡民”の世界になると思います。即ち、「隣国 相望み、鶏犬の声聞こゆるも、民 死にいたるまで 相往来せず」 このような中世的、封建的な 経済封鎖状態は
現在の人々には到底受け入れられないでしょう。封鎖が強要されれば、自死、暴動なども後を絶たないと思います。一方 感染が減少していない中で経済活動の再開すれば、感染爆発がおこり、多数の死者が出ることも自明の理です。経済活動とコロナ感染は正比例しています。我々は「経済活動なし、コロナもない世界」と「経済活動全開、コロナ大流行の世界」の両極端をしりぞけ、中庸之道をとらねばなりません。その間にワクチンや治療薬ができるのを待つのが良いと思います。さらにその間には
地震や風水害が起こらないのを祈るのみです。
令和2年6月(7月3日記)
6月の受診の方は約1,080名でした。介護保険の医師意見書の提出が、5月と6月とありませんでした(毎月数枚はあり、10枚を越えることもあった)。訪問、集合が困難のため、介護サービスの提供が現実には著減しているのではないかと懸念しています。話は大きくなりますが、日本は平安時代までは中華文明に憧れました。命がけで遣唐使などを派遣して、衣食住はもちろん、文字、文物、仏教、税制、都市計画などすべて中華式を導入しました。明治維新以後、今度は
日本は西洋文明に憧れました。同じように命がけで渡航し、衣食住、科学技術、自由、民主主義、思想哲学まで導入し、骨の髄まで 西洋コンプレックスとなっていました。さらに大戦後はアメリカ文化一辺倒でした。しかし、今回のコロナ禍では中国も西洋もアメリカも
信じられないくらい対処に失敗しています。中華文明、西洋文明、アメリカに対する憧憬は崩れてしまいました。世界史的な規模で 諸行無常、盛者必衰の理を表しています。他に規範となる国はみあたらず、日本が世界をリードするとも思われません。あるいは、人類全体が繁栄のピークを過ぎ、この後は恐竜のように絶滅に向かって行くのでしょうか。
令和2年7月(8月3日記)
7月の受診の方は約1,110名でした。コロナ関連での受診の方が目立ち、高齢者の方が減少しています。コロナ感染者が急増しているにもかかわらず、最近の政府の無策には驚くばかりです。ウイルスが弱毒化していなければ、目を覆う惨状になっていたでしょう。中国の居丈高な態度が不思議です。普通、世間一般では
交通事故など 過失で(意図しなくても)他人を傷つけたら、まずは 被害者を見舞い、迷惑をかけたことを謝りに行くと思います。補償金が必要となるケースもあるでしょう。今回、中国は
ましてや 意図的に情報を隠蔽したため、ウィルスが世界中にばらまかれて 70万人もの死者をだしています。世界中の人々から“うらみ”をかって当然と思います。しかし、これまで中国が遺憾の意を表したとか、謝罪したとは聞いていません。逆に、香港やウイグル、インド国境、南シナ海や尖閣諸島で攻勢をかけています。
理解を超えており、「手負いのシシ」の状態とおもいます。戦前の日本のように暴発して世界中を相手に戦争に及ぶ危険があると懸念します。昔には管仲のような政治家が出た国のはずなのですが。
令和2年8月(9月3日記)
8月の受診の方は約1,070名でした。一週間 夏期休診をいただきました。安倍首相が辞任を決めました。毀誉褒貶の激しい人物で 政策ごとに是か非か別れる人物と思います。是としては 任期中、経済は持ち直し、日本の国際的地位は向上し、オリンピックなども誘致できました。非としては
マイナンバー制度、消費税増税、森友・加計問題、桜の会などがあげられます。最後は、コロナ対策で後手に回り、国民が苦しんでいる最中に 豪華な自宅での動画、あべのマスクの配布など、庶民感覚がないことを
滑稽 に暴露してしまいました。安部氏自身は若い時に必要な苦労(勉強も仕事も金銭も恋愛?も)をせず、過ごしたと思われます。おそらくはそのためもあって、周囲には
忖度する程度の人物しか集まらず、友人なく、特に諌言・制止する人がいないと予想されます(夫人も含めて)。そのあたりはアメリカのT大統領も酷似しています。しかし、安部氏には
天性の才能があり、トランプ氏に世界で最初に会いに行くなど、特に外交力は抜群であると思います。もう一度、(首相としてではなくとも)復活を期待したいです。その時は自らも先端医療の恩恵を受けているのですから(潰瘍性大腸炎)、医療をもっと大事にしてほしいです。
令和2年9月(10月3日記)
9月の受診の方は約1,070名でした。やはり、高齢者の方が減少傾向です。一方、コロナが 一旦落ち着いた 現在の方が不安障害の受診が増えています。津波に例えれば、最初のコロナ禍は“押し波”にあたり、一旦落ち着いた現在は“引き波”であり、かえって被害が目立つ気がします。芸能人の自死もこれに当たると思います。外から見れば、容姿や才能も素晴らしく、特に問題を抱えていたようには見えません。想像をたくましくすると、彼らは 従来は超多忙な日常を送っていたはずです。そこに突然 コロナによって“超ひまな時間”があらわれ、深い出口のない思索のワナに陥ったのでないでしょうか。日常生活が戻ってある程度 危機感が薄れると、かえって“荷下ろしうつ病”となり、自死に向かったと想像されます。日本にはこれを救済する共通の哲学や宗教がありません。家族や友人には言えない悩みを相談できる 信頼できる 身近な“他人”(牧師や僧侶にあたる)もありません。ただ、自死は“流行”します。特に 過剰な報道はぜひ規制してほしいです。
その他にも10月初めは東京証券市場の全日停止(デジタル、大きくは自然科学への信頼低下)やトランプ大統領のコロナ感染(逆に精神論では自然科学をまげられない)などあり、未来から振り返ると
歴史のターニングポイントの時期であったのではと思われます。
令和2年10月(11月3日記)
10月の受診の方は約1,150名でした。都心部の医療機関からの転院が目立ちました。心療内科は長期通院の方が多いので、電車、バスでの通院を避けたいと言うことでした。この一事をみても
コロナは人々の行動に様々に影響しています。さらに注目すべきことは、コロナよる死者より自死の方の増加がはるかに多いことです。現在、コロナ自体の被害は“生物種”としてのヒトの存続には壊滅的でないと思われます。しかし、ヒトの発達しすぎた“脳”がもたらす“不安”が大き過ぎ、さらにIT技術がこれを増幅していると思います。現在、世界では自死以外にも
テロや暴動も頻発しています。今後、さらにコロナ感染が拡大したり、第2、第3の感染症パンデミックがあれば、人の交流がなくなり、文明、技術の発達が停止して
世界経済は凋落するでしょう。この時、国民の不満をそらすため、大国同士で衝突、核戦争でも起こる事態になれば、(現在でも米中が煙をあげている)これは人類滅亡の道と思います。大繁栄した恐竜が
巨大化しすぎた身体のため、隕石の落下で一挙に絶滅したように、人類は発達しすぎた知能(+IT)のため、感染症への過剰反応により 自滅する恐れもあると思います。
○さらに日本でもコロナウィルスの人工合成に成功した由、生物兵器起源の可能性もあると思います。おそろしいことです。
令和2年11月(12月3日記)
11月の受診の方は約1,080名でした。下旬からの第三波により再び、長期投薬希望の方が増えています。日本の安部氏は退任し、アメリカのトランプ、ロシアのプーチンはいずれも退任あるいは退陣の危機がせまっていると聞きます。いずれも個性が強く、独裁的で独善的、自国第一主義です。彼らは「ポピュリズム」の波に乗り、「従来とは違う、毛色の変わった政治家」として国民の支持を得て指導者になりました。最近は
日、米、露に加え、共産主義の習近平氏や金正恩氏の両独裁者もかつての勢いはないように思います。良いことと思います。これはSNSの役割が大きいと思います。指導者たちが“悪事”を行って、メディアで報道規制しても
もはや不都合な事実を世間の目から隠すことできません。(習近平のコロナ隠蔽 香港問題、金正恩の兄殺害、プーチンの政敵暗殺、トランプの一連の虚偽や常識外れの言動、安部の桜の会
もりかけなど)一刻も早く、政治が正常化し、全人類の課題であるCovid-19に当たってほしいです。
令和2年12月(1月3日記)
12月の受診の方は約1,100名でした。コロナ感染防止のため、リモートワーク推奨されていますが、これはビジネスや政治には大問題と思います。私は、日常、精神科診察をしてますが、対面の重要性は明らかです。診察室に患者さんを呼び込んだ瞬間から診察が始ります。表情、仕草はもちろん、付き添いの人の雰囲気、言葉にない空気、においまでも重要な情報です。おそらく ビジネスの交渉場面でも同じと思います。モニター越しに交渉すれば 相手の本音を感知することができない場合があるでしょう。そのまま、相手は納得したと思っても 全く理解していなかったリ、逆に、後々無用な論争がおこりそうです。(対面形式でも精神科診療ではよくあります)電話での交渉なら、顔の表情も分からず なおさらです。さらに科学技術の伝達でも同じと思います。私自身も新しい薬剤や検査が導入されても 薬剤情報やマニュアルだけ読んだだけで 実際に患者さんに処方したり検査したりすることはかなり 抵抗感あります。やはり、人と対面して知識、技術を伝えてもらえるのが一番安心です。対面交渉をする手段に人類の英知を集めるべきです。
○令和2年、個人的な生活にもCovid-19は大変でした。電車、バスはほとんど利用せず、一年間、映画やコンサートには一回も行きませんでした。旅行は車で移動できる所一カ所のみ家族と何度か。どの会食も4人以下厳守で最低限。一年間、親しい友人や親戚ともほとんど会いませんでした。会合と称するものは
全て中止か、リモート(現地に行く必要がないので多くの学会に参加できた利点もあった)。会合や会食がなくなったため、一年間、顔をあわさなかった知人が多く、同級生の教授退任パーティも中止、延期を繰り返し、ついにメドが立たなくなっています。健康面でも神経質になり、何か体調不良があれば(咳、結膜炎、胃腸症状などあった)過剰な心配をしました。全体に生活の楽しみが少なくなりました。あらためて、コロナは単なる生物学的な流行病ではなく、人間関係破壊ウィルスであることを痛感します。