令和3年月報
令和3年1月(2月3日記)
1月の受診の方は約1,090名でした。やはり、不安、抑うつの方が増えました。行動制限が一年になっても出口が見えず、今でも2,3週間先の予定も入れられません。娯楽が少なく、こころの“コロナ疲弊”が深刻です。一方、菅総理が迷走しているようです。管氏は“優秀な番頭”であって、首相の器ではないと考えます。自分自身の政治理念や世界観を持っているようには思えません。これまでは姿勢を低くして人間関係をそつなく調整し、与えられた課題を
時には権謀術数を用いながら、巧妙に処理してきた古いタイプの日本の政治家と思います。バイプレーヤーとしては優秀でも“自分がトップに立つと、哲学、思想、信条がないため、一貫した主張がなく
自分の頭で決断できず、周囲の声に右往左往しているのではないかと思います。“名演奏家、必ずしも名指揮者ならず”です。コロナという未曾有の国難の時に器でない総理は大いなる不幸と言ってよいとおもいます。
令和3年2月(3月3日記)
2月の受診の方は約1,040名でした。1ヶ月間すべて 緊急事態宣言下であったことが影響していると思います。思えば、昨年3月に学校が休校となってから丸一年たちました。今はワクチンの話題が沸騰してるようです。医師会などからの連絡が毎日のようにありますが、方針が二転三転しています。私個人は一般の方にワクチンを注射したくはないです。私にはアナフィラキシーショックなどにすばやく対応するなど不可能です。そうなるとある程度限られた数の医師が一億人余の人々に
何回か接種することになります。現実には不可能なので医師以外の職種の人も接種に動員することになりそうです。外国製のワクチンを購入する費用もバカにならないでしょう。そうなると、日本の政治家や官僚に国民にワクチンを無償で公平に配布できる能力が残っているか心配です。かつては日本の政治家や官僚は
志(こころざし)あり、世界一クリーンと言われましたが、今や忖度や贈収賄が次々と明らかになり、その中には首相の息子まで登場する時代です。平行して国産ワクチンも全速力で達成してほしいです。
令和3年3月(4月3日記)
3月の受診の方は約1,090名でした。やはりコロナ関連の新患の方が目立ちました。コロナ禍以後、精神科への入院は減少していると思います。現在、入院すれば 原則的に「面会できない、外出できない」状態となります。それを理由に入院治療を拒否される方が目立ちます。特に「家庭や仕事から離れてゆっくりしたい」など休養目的の入院は
当院でも昨年以降は皆無に近いです。精神科医療の入院から外来への流れが一挙に加速した感じです。さらに日本の精神科病床数は世界でも抜群に多いことが知られていますが、コロナ禍は期せずして入院患者数、ひいては病床数を減少させると思います。今後、さらにコロナ流行が長期固定化すれば、(戦後 多くの結核の隔離病院が精神科病院に転換したように) 今度は精神科病院は“コロナ隔離病院”に変身する事態になるのかもしれません。
○大阪は感染爆発しているようです。
令和3年4月(5月3日記)
4月の受診の方は約1,120名でした。大阪は特に感染爆発状態で、外出もはばかられている状態です。この事態が国や府の無為無策によるものであることは明白ですが、もう一つ、気になることがあります。世間全般が皆、政治に異常に強い関心を持っていることです。(以前には誰か首相をしてるか知らない時代もあったように記憶しています)しかも強い行動規制や人権の制限を主張する政治家ほど人気を博しているようです。この状況下ではファシズム(独裁)の台頭が心配です。ここでヒトラーのような狂信的人物が登場し、確固とした態度で声を大にして
強い統制を主張すれば、一気に国民がなびいてしまうのではないでしょうか。ファシズム政治は当初は統制が成果を上げますが、最終的にすべて破滅で終わることは歴史が証明しています。さらに自由民主の国でも
大義名分さえあれば、今後、各国政府はいつでも国民に行動制限かけることができることがわかったと思います。反政府運動の弾圧や人権侵害に利用されないか懸念されます。
令和3年5月(6月3日記)
5月の受診の方は約1,090名でした。やはり、不安、抑うつの新患の方が目立ちました。行動制限が一年以上になったのでストレスや閉塞感が非常に強くなっています。最近、80歳代の患者さんが、(私のH病院時代から数えると30年近いお付き合い)3月にコロナで他界されたことを知りました。近くだったので
お焼香をしました。写真を目にして様々なことを思い出していると、(天寿に近いとは言え)これは自然死や災害死ではないという思いがフツフツとわいてきました。戦争や原発事故に比肩する巨大な人災です。コロナの流入を防げなかったなどの政府の数々の無策、さらにその原因の中国の隠蔽
等々に思い巡らせると、憤りを禁じえませんでした。人間の感情は理論では押さえられません。おそらくは死者(関連の自死者も)の数だけ世界中に怨嗟の声が上がっているに違いありません。
令和3年6月(7月3日記)
6月の受診の方は約1,100名でした。5月末頃から“休職”の診断書を多く発行しています。特に4月に転入職した方(2年目も)が多いです。その原因はコミュニケーション不足と思います。コロナ禍以降、ほとんどの職場で、仲間同士での飲食やレクリエーションが禁止になっており、また、多くの所で定時での直帰やリモートワークとなっています。面接もリモート、入社の手続きもウエブのため、入社式まで職場に行ったことがなかった人もいました。新人が悩んでも一緒に食事でもしながら
相談する機会がありません。対人接触の強制的な制限のため、悩んでも助言が得られず、一人では処理しきれないため、うつ状態となって 心療内科を受診、休職となっています。言わば「現実との生ける接触の不足」が「貧しい自閉」を起こし、各種の精神変調が引き起こされています。この問題は、新人に限らず、さらには日本にも限らず、世界規模でおこっていると思います。マクロな経済面でも影響を与えていると思います。
令和3年7月(8月3日記)
7月の受診の方は約1,110名でした。コロナ感染の拡大が止まりません。オリンピックの強行開催がその一因であることは確実です。しかし、一方、実際に競技を見れば、スポーツは純粋に楽しいです。さらに“一生に一度かもしれないチャンス”に懸命にに挑戦する選手たちをみると、こういう場(オリンピック)がないことが彼らにとってどんなに残酷なことかがヒシヒシと伝わってきます。オリンピックを“人口密集地”で行うことが一番の問題と思います。これからのオリンピックはテロの対策もかねて、自由に人が出入りできない場所(山間、島嶼等)で、毎回
同じ専用の固定施設を使って行うのが良いかと思います。乱暴な意見とは思いますが、無観客試合がすぐに実施でき、警備もたやすく感染症を予防でき、さらにオリンピック開催の度にスポーツ施設を新設する必要もありません。ちなみに古代オリンピックは場所は交通不便なオリンピアの地に固定され、その目的は 神々への賞賛と停戦、疫病退散であった由(都会のアテネなどでは祭典が継続的に開催できず、田舎町の祭典が全ギリシャのスポーツ祭典へと発展していったとききます。)
令和3年8月(9月3日記)
8月の受診の方は約1,100名でした。一週間の夏期休診をいただきました。行動制限のため、“ひま”な時間ができて 昔の本を読み返したり、音楽を集中してきけました。 学生時代のように自由に思いをめぐらせることもできました。人間が文明を作ることができたのは農耕などで“ひま”ができたからと言われています。石器時代の人々は「食糧確保」に忙しく、文化の域に達しなかったと思います。そう考えると、コロナ以前の世界は騒がしく「仕事や日課」に忙しすぎため、“ひま”がなく、文化不毛の時代だったように思います。思想も芸術も毎日押し寄せる仕事や日課にかきけされ、石器時代の人々と同じで生活を回すだけで精一杯でした。今の時代には世界中の誰もが知るようなビッグネーム(思想では
ブッダや孔子、科学ではエジソン、芸術ではベートーベンやダ・ビンチ、北斎のような)が出現しません。コロナ禍の中も“ひま”の復活は文化では良い面かもしれません。
令和3年9月(10月3日記)
9月の受診の方も約1,100名でした。引き続き、不安、抑うつの方が多いです。去年、コロナのため 昨年 自動的に延長になった障害者年金や障害者手帳、障害支援区分の更新のための診断書に追われています。10月1日に緊急事態宣言が解除になり、晴れ晴れとした気分になれるかと思いましたが、あまりさえない感じの方が多いようです。コロナ以前の生活様式に違和感があります。友人や親戚と久々に会いたいと思い、この規制の緩和の際にやりたい事が色々あるようですが、自粛生活が“習い性”となっています。急に釈放された囚人のようで、いざとなると、具体的にどのようにすればよいか分からず、歯がゆい感じです。人間の心はストレスがかかると“うつ”になりますが、ストレスが急になくなっても“うつ”になります。その意味で、今後、一方、ストレスの急速な解消による
荷下ろしうつ病 にも一層の注意が必要かと思います。
令和3年10月(11月3日記)
10月の受診の方は約1,120名でした。日本のコロナ患者数が予期せぬ位減少しています。SARSやMARSのようにこのまま、終息することを願うのみです。規制の緩和もあって 不安、抑うつでの新患の方は落ち着いてきている感じです。今度は
コロナ後遺症と思われる方が散見されるようになりました。当院は神経科ですので 意欲の低下や、うつ、不眠、だるさ等の訴えの方が受診に来られます。なかには幻覚妄想状態やそう状態、認知症状を呈した方もおられました。コロナ回復患者の三分の一に精神神経症状があるという説もあります。実感としても精神関連の後遺症はインフルエンザに比べて著明に頻度が高い気がします。コロナは膨大な感染者を出しています。死者数、重症者数だけではなく、
回復後の後遺症(精神症状を含めて)にも もっと注目べきであると思います。ワクチンの開発は速かったですが、後遺症の調査研究は遅い気がします(政治的?)。大規模な調査と対処方法の確立が緊急の課題です。
○管義偉氏退任し、岸田内閣発足。
令和3年11月(12月3日記)
11月の受診の方は約1,140名でした。開院以来の最多タイでした。コロナの終息(一時的?)により、抑うつやパニックの方は少なくなっていますが、人間関係の悩みや軽い不安、不眠、もの忘れなど“不急”であったため、コロナ禍の最盛期では受診されなった方の受診が目立ちました。神経科の市中での需要の多さに改めて驚きます。私が卒業した頃は
神経科に入局することは一生、交通不便な神経科病院に勤務することを意味しました。世間に注目される科でもなく、入局に反対する大人達も周囲にありました。将来、開業して街の中にいるとは想像もできませんでした。“狭き門より入れ”世間の評価は気にせず、真に興味を持てる精神の分野に進んだことは正解でした。人間の精神は不可知にして永遠の謎、決して自然科学(エビデンスなど)では解明できない思っています。
令和3年12月(1月3日記)
12月の受診の方は約 1,120名でした。少し世の中が落ち着いて来たところに 心療内科クリニックへの放火、有名タレントの自死が続けてあり、急に社会不安が強まって、新たに受診に来られた方があり、通院中の方の中にも調子を崩された方がおられました。人が精神のバランスを崩すとき、その傾きが外に向くと
他者への攻撃、内に向くと自死、になるようです。なんの関連もなく、突然 未来を断たれた多数の通院患者さんの無念さや 誰にも知れず、十数センチの窓から飛び降りて
この世を捨てた ご本人のさみしさ。さらに 残された家族や関係者の方々の悲痛はいかばかりかと思います。物質よりこころの時代です。"世間における一切のものは虚妄である”と知るがために“一切の生きとし生けるものはすべて幸せであれ”と願うばかりです。(ブッダのことば)